【音楽】いつのまにかことし。
あっという間に2020年が終ってしまった。
2020年がなければ出来なかったんだろうなという曲の感想です。
思ったことを殴り書きです。メモのような。忘れないための。
millennium parade FAMILIA(2021)
映画 ヤクザと家族 The family の主題歌。新聞記者の藤井監督のオリジナル作品。デイアンドナイトが結構衝撃的で、バランス感覚すごい監督さんだなって思ったので今作も楽しみ。MVも藤井監督完全撮り下ろしです。
ミレニアムパレートはきんぐぬーを聴きだして耳に入ってきたワードで、あまりまだ全貌はよくわからなのだけれど常田さんのソロプロジェクトの意味合いが大きいのかな。
Srv.Vinch → DTMP → millennium parade って変遷している感じ。
youtubeチャンネルもperimetronから millennium paradeなってまだ数本しかMVは出していなくてまだ判断材料があまりないのだけれど。しかもどこからミレパの作品としていいのかも曖昧で。常田さんは個人名義で作品を出したことが今まであったのかな。
ミレパは常田さんのコアな部分で作られる音楽(メンバー流動性)で、King Gnuはそこから派生したコンセプトに沿った音楽を作るバンドってイメージ。
常田さんが作りたい音楽を作って、それに必要な音を出す人たちをその都度集めて作品を作り上げていくのがミレパって感じ。
ミレパっていうブレインになる会社があって、その中のブランドの一つにKing Gnuがある感じ。内包されているような。
あと単純にターゲティングが違いそう。ミレパのMVには字幕ついているので海外思考なのかな。
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曲の感想として。
教会音楽だなって。
この音楽が西洋でなくアジアから出てきたという事実が単純に面白い。
ポストクラシカルの流れになるのかな、というより訛りもないし、コラージュしている感覚なのだろうか。
まずドラム。石若さんのドラムはアポロンの坂道で初めて知ったけれど歌うように叩く方だなあという印象があって。今回も違わず声みたいで、ずっと聴いていたい。結構滅茶苦茶に感情が暴れまわっているのに音として破たんしていなくて、それが静かに波のように動く声との対比となっていて苦しい。シンセベースもうねんうねんしていて、内は荒々しいものを秘めているんだろうなって。そう考えたらこの曲、海みたいなだな。
次に声。いぐちさんの声はどういうジャンルの歌を歌っても汚くならないのでこういう曲に合うなあと思います。
終始波みたいな旋律で音域も結構広いと思うんだけれど、地声と裏声の差みたいなものをあまり感じさせない声色(テクニックなのかな?)だから、女性が歌っているみたいに聞こえる。あなたの瞳が輝いてる~のところ裏声の移行がスムーズすぎて何回聴いても鳥肌立つ。
歌を歌っているというより、心からの叫びみたいな歌い方でMVも相まって鎮魂歌のよう。
常田さんの音楽には、常に物語があるなって思う。このタイミングでこのメンバーでこの曲を作り上げることにきちんと意味があるんだろうなって、そう思わせる力がある。
彼が作り出す音楽は美しいなあと思うけれど、それ以前に音楽の向き合い方が芸術家のそれで。
ほんとうに100年後くらいに、彼の評価がほぼ定まった状態で出会いたかった。
ただ映画ファンからすると、常田さんみたいな存在が出てきてとてもワクワクしている。今回ミレパとしてデビューしたことで彼の音楽をタイアップとして使えることはすごく邦画音楽の選択肢が広がったと思う。すぐ世界行っちゃいそうだけど。
彼らみたいな集団が出てくるまで戦後50年くらいで、約3世代かかった。
平和が続くと文化が発展する余裕が生まれるからいいな。
国策に利用されることもなく、知識人が何かを主張するために用いるわけでなく、
純粋に音楽に対して問題提起が出来る世代。
何かを変えようとするとき音楽が一番時間がかかるのは、音楽が一番わたしたちと密接に関わっている文化だからだろうな、と思っているのだけれど、どうかな違うかな。
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MVの感想は映画と一緒にどこかに書くとして、藤井監督はわかりやすいメタファーを使う方だなあと印象があるので、今回は煙というか靄がそれかな。どうだろう。たのしみ。
【音楽】芸術を消費するということ。
■ どろん/ King Gnu (2020)
どろんのMVを観ました。
このバンドは、ほんとうに面白いなあ。
情熱大陸も見たけれど、芸術家二人と職人二人で出来ている音楽集団だなあ、と思う。
せきさんとあらいさんは、職人気質というか、寡黙に努力し続けて、男は弱音を吐かない!みたいなタイプで。
一方のつねたさんといぐちさんは、今の現状に対して葛藤を吐露している場面があって芸術家タイプだなあ、って思って。まあ、芸大出身だから芸術家タイプというか芸術家なんだろうなあ。
構築するリズム隊が職人で、フロントマンが芸術家で、それはもう人を惹きつけてしまう音楽になるよなあって。
MVのことに戻ると、わたしは、頭があまり柔らかくないので、考察は苦手なのだけれど
最後の赤字POPの演出で鳥肌が立ってしまった。こんなわかりやすいことする必要ある???って。
ここまである種のアンチテーゼを持ってPOPに向き合っているバンドが、実際POP側にいる現状。
まるでPOPの内側からじわりじわりと浸食しているようで、これからどこに向かっていくのだろうって、わくわくしてしまう。
彼らに熱狂する者も、拒否反応を起こす者も、その群れの蜜を吸おうと集まってきた者もすべてまるっと、彼らの思惑通りのようで、たまらないのです。
*
わたしたち大衆が、他人であるアーティストや作品に対して、意見や感想を抱くということ自体が、大なり小なりそれを消費していることになるし、それがポップスであることの宿命だとも思う。
音楽作品としての大衆性は狙ってつねたさんが産み出しているけれど、それ以外の大衆性の大部分は、いぐちさんが背負っていると思っていて。 彼は吸引力があるというか人間的にとてもパワーがあるなあ、と。表現者として面白いなって。
まあ、つねたさんがいぐちさんの大衆性を期待して、メンバーにしたのかもしれないし、そうしたらやっぱりすべてはつねたさんの策略通りなのだろうけれど。
そして、このバンドは、日本の音楽シーンで売れることをコンセンプトに掲げた集団で。
そういった大衆と向き合う覚悟みたいなものを持っている集団が、実際に今ものすごいスピードで消費されていること。そして、彼らがそのことに対し葛藤を持ち始めていること。この一連の流れが、コンセンプト通りに進んでいるので、まるでまるっとパフォーマンスアートのようで。
しかも、わたしたちが彼らの作品や彼ら自身に、あれこれ言うこと自体が、もうKing Gnuというコンセプチュアルアートの中に組み込まれてしまっている感覚があって、それが最高に皮肉でぞくぞくするのです。
彼らを好きであろうが嫌いであろうが、何か意見を持ってしまった時点で、何かしら消費していることに変わりはないし、彼らのプロジェクトの一部として機能してしまう。
なんなら彼らを利用して利益を得ている媒体さえも巻き込んで、ポップとは何か、という問題提起をしてしまっているような。
音楽を、そしてそれを演奏している人を消費するということはどういうことか。日本における音楽の聴き方というかそういうものを考えさせられる。
ほんとうにポップって何なんだろう。
もしかしたら、当初思っていた以上に群れの規模が広がってしまっているかもしれない。
もしかしたら、いくら売れることを覚悟していたとしても、そこで生まれる摩擦みたいなものは、想像以上だったかもしれない。
今後、彼ら自身がKing Gnuというコンセプトに呑まれてしまうかもしれないし、たくさん集めた大群をコントロール出来ず制御不能になってしまうかもしれない。
彼らは、この群れをどこに向かわせるのだろう。そして、最後までついて行きたくなるような、そんなキングでいてくれるのだろうか。
彼らのバンドとしての着地点はどこになるのか、どこに落とすのか、ただのしがない彼らの一消費者として、楽しみたいなあ、と思う。
【音楽】CEREMONY(2020)
わたしは音楽に詳しくないので、彼らの鳴らす音がロックなのかどうかはよくわからないのだけれど、社会ではなくて、日本の音楽シーンに対して中指立てちゃってるんだろうなあ、っていうのは少し感じてしまう。
■ CEREMONY(2020) /King Gnu
彼らの音楽は後年どういう切り口で語られるようになるのだろう。
芸術から、歴史や当時の時代を知ることが大好きなので、そういう出会い方をしたかったと、本当は思う。 西洋から借りた様式の模倣段階を経て、どのように脱却するか、みたいな東アジア人が直面する~とか論じようと思えばいくらでも書けちゃう。
でも、このアルバムの 初回限定版についていたライブ映像を見たら、そんなことどうでもよくなってしまった。この音楽すきだなあ、って単純に音を楽しめば、難しいことどうでもいいやって。
もう一個だけ言っていいなら、芸術団体という意味で、とても面白いなあ、とは思います。バンドだけでなく、常田さん界隈のおはなし。
以下だらだらとアルバムの感想。
■ 開会式
開会式~幕間~閉会式は、元々同じ曲だったとインタビューで読んだ。しかもずっと前にあった曲だったって。 人生の目的がすでにあって、まるで逆算して生きているような方だなあ。
■ どろん
映画の主題歌ということで、映画館のような大きな場所で映えそうな曲。
キングヌーの曲は、歌唱パートの音の置き方が、弦楽器、というかオーケストラのバイオリンみたいだなあと思うことが多くて、この曲は特にそう思った。
歌い方も、裏声やら技巧的に使って、弦で弾いているようなそんな音。
■ Teenager Forever
曲はもちろん好きですが、MVが完璧すぎる… 年末の音楽番組でバンド名をお茶の間に認知させて、年始に、メンバーの自己紹介MVでパーソナルを認識させるの強い…。
MVのことになってしまうけれど、ドキュメンタリー風の映像をいぐちさんが走るっていうわかりやすい演出でパッケージして、作品にしてしまうのが面白い。ただのバンドヒストリー映像から、一気にコンセプチュアルになる。このMVのこと語ろうと思ったらたぶん別記事で、いくらでも書けちゃうと思う。
とにかく歌詞、曲調、映像の持つ哲学みたいなものがぶれずに、Teenager Foreverを提示しているので、普遍性を帯びちゃう。結果、鑑賞する側が個人的な経験に各々落とし込んで、この作品と対峙出来るので、とても現代アート臭しちゃうのです。
□ ◇
このバンドの面白いところは、主旋律多く歌う、というか高音で耳に残りやすいパートを歌うボーカルが曲を作っていないということだと思っている。
曲毎に佇まいや歌い方を変えても、バンドの芯がぶれないし、
歌が主張ではなく表現になるので、一曲に、まるで舞台を観ているような、そんな吸引力がある気がするのです。
◇ □
■ ユーモア
まるで呟くように歌うね。 あまり声を重ねていないからか、ほんとうにつぶやいているみたい。
曲を聴いて頭に浮かんできた情景と、歌詞が一致していて、笑ってしまった。まるで映画のサントラのよう。
■ 白日
ずっとリピートできちゃう。賛美歌のようなゴスペルのような。教会のお葬式で流れてそうな曲だなあ、って。
冒頭の高音もインパクトがあるけれど、2番に入るギターから高音に繋がる箇所がとても気持ちよい。それまでのぐちゃぐちゃした思考を、解放してくれるというか、カタルシスを感じる。
つねたさんの書く詞って、キャッチコピーみたいだなあって思う。 物語性はあまりなくて、難解でもなくて、 わかりやすくて誰でも共感できそうな言葉を、色々な角度から提示してくるから、フックされて、歌詞の全部ではなくてもどこかに共感できるフレーズがある。
■ 幕間
ほんとうに全く曲と関係ないけれどルネ・クレールの幕間が頭をちらつく…。 あたらしい技術を見つけてたのしそうに創作している人たちってそれだけで魅力的だなあと思っていて、そういう意味では共通しているなあ、って思うのです。
■ 飛行艇
初めて聞いた時、なんだか懐かしさみたいなものを感じた。
古典の焼き直しというか、そこにメジャーシーンにいるバンドが配信だけどシングルで出すっていう、真正面から挑む姿勢がたまらなくかっこいい。し、単純に曲がかっこいい。
最後転調してテンションが上がるのに、ベースの音階が下がってくるところが、だんだん降下してくる感じがして好きです。盛り上がっているけれど、どこか俯瞰しているなあ、って。
■ 小さな惑星
車のCM。疾走感があって、やっぱりサントラみたい。
キングヌーの曲は、歌詞と音が乖離していなくて、聴いていてとても気持ちが良い。 この音楽のフレーズを、日本語に訳したら、こうなるんだろうなっていう。
ドラムのブレーキ感がたまらない!
■ Overflow
小さな惑星からの流れが気持ちよい。 家入さんに提供した曲のセルフカバー。家入さんverは声が強くて歌の曲という感じだったけれど、こちらはリズムが強め。
すごく綺麗な曲だなあという印象。公式みたいなお手本みたいな枠からはみ出ていない綺麗な曲。
■ 壇上
よくわからないけれど、つねたさんが自分の表現したい世界を構築して、表現して、足りない音は外部から補強して、その中で3人と出会って、色々経て、結果、今このタイミングでこの曲があるんだろうなあって。
ドラム・ベース・声が入ってるタイミングで、テンションが変わるのが好きです。
暗闇からいきなり明るくなり視界が開ける感じがして、耳心地がよい。
初めて聴いた時、主張が強すぎて聴きこめなかったのだけれど、何回か聴いたら、なんだろう、ミュージカルみたいな歌だなあって。トイストーリーとかディズニー映画の劇中歌みたい。そう思ったら、聴けるようになった。
■ 閉会式
壇上の終わりのピアノからのつながりが好き。 鳴る音は冷たいのに、観客が高揚し興奮しているのですごく悲しくなってしまう。
壇上→閉会式の流れは、アレクサンダーマックイーンの映画を思い出してしまった。 あの映画は、表現を消費してしまうことの恐ろしさみたいなものを感じたけれど、そういう感覚。
■ ■
sympaよりも、大きな場所で鳴ったらかっこいいんだろうなあ、みたいな曲が増えた印象。 ライブいってみたいなあ、と思ってしまった。
このバンドは面白いなあ。
【美術】コートールド美術館展 魅惑の印象派
■ コートールド美術館展 魅惑の印象派 東京都美術館 / ¥1,600
ロンドン大学コートールド美術研究所の美術館。
ロンドンに印象派の作品を集めた美術館があるなんて知らなかった。
サマセットハウス内にあるそう。
あまり所蔵品を国外に出すことはないそうですが、2021年まで美術館が休館中なので、貸し出すことが出来たそう。
印象派の研究所ということで、美しさや作品の価値みたいな観点ではなく、その絵が印象派にとってどのような意義があるか、みたいな視点から集められた作品が多いように感じた。この企画展がそういう展示方法をしていたからなのかもしれないけれど。
自分は、芸術作品を通して、その当時の文化や思想、ナショナリティを知ることが好きなので、とても興味深い展覧会でした。
*
・花咲く桃の木々 ゴッホ
ゴッホはほんとうに日本に憧れを抱いていたんだろうなあ。
彼にとって日本という国はどういう存在だったんだろう。
印象派の絵は、屋外で自然の光を感じて描くイメージでしたけど、最初から最後まで外で、っていうのは逆に珍しいことだったらしい。
シスレーの白がほんとうに好きです。
・花子 ロダン
突然日本人名が出てきてびっくりした。踊り子さん?芸者さんだったそう。
*
印象派が好きです。若い芸術家のエネルギーみたいなものを感じて、わくわくするのです。様式自体も好きだけれど、印象派の画家のパワーと、それを生み出した当時のパリの時代性みたいなものが好き。
鉄道が通り、外套が発明され、カメラが出来て、どれだけ当時のパリの人はわくわくしたのだろうか。
【音楽】久しぶりにCDを買ったお話。
アルバムを買ったのは何年ぶりだろう。
今年もあっという間に年の瀬で。 早くも紅白出演歌手が発表になり、その流れでミーハーなわたしは、King Gnuさんにはまりました。
音楽を聴いて、わくわくしたのってたぶんひさびさの経験だったので、思わずCDを買ってしまった。
日本人という文化的背景と今という時代性を共有しながら、彼らの作品を聴けていることに、ほんとうにわくわくする。
■
ドラムとベースのアクセントが奥にあって、音に乗りたくなってしまう。
ジャズっぽいというか、ブラックミュージックというのか。
心地よくて、飽きなくて、ずっと聴いていたくなる。
声は、高音の方はクラシックのバイオリンのような譜面で。声も癖がなくて綺麗で、技巧で表現するタイプで。
実質、ほぼインストバンド。
音楽のジャンルももちろんですが、歌含め演奏者の出自も様々なので、それらを合わせた曲にやっぱり違和感を覚える。でも、その違和感が逆に心地よくて、新鮮で、それがフックになって、癖になってしまう。
癖になってしまうのは、作曲編曲がセンスが抜群なのはもちろん、そのセンスに説得力を持たせる演奏者のスキルが必要で。 プロデューサーの世界観を具現化できる人たちを集めたんだろうなあ、というバンド。
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なのでバンドやろうぜ!みたいなノリではなく、音楽がネイティブランゲージみたいな4人が集まって、楽しいことやってやろう!みたいなグループ。
サロンや酒場とかで即興音楽を楽しんでいそうな人たちで。そんな人たちが、「各々が持つそれぞれの言語を、バンドという形態で、J-POPの文脈に当てはめた時、どこまでいけるか」、みたいなことを目的とした、プロジェクトチームというか芸術実験団体みたい。
芸術実験という概念が音楽にあるのかわからないけれど。
西洋から手法や様式を借りたあと、そこからどのように発展していくのか、みたいなアジアの芸術でよくあるやつを今まさに目の当たりにしている!!!!!って、彼らの音楽を聴いた時とてもわくわくしたのです。
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インタビューを読む限り、常田さんがとてもロマン主義で、芸術性もだけれど、思想みたいなものがとても興味深い。作品が好き、ということはもちろんだけれど、とても面白い方だなあ、って。
自分の思い通りの音楽を一人で作ることが出来る時代に、なぜバンドという泥臭い方法を選んだろう。
社会を巻き込むという理想と、それを実際に行動へ移すことがきできる才能と、それについて行きたくなるパワーを持つカリスマ性と、いわゆる理想主義・革命家タイプの音楽人はどこに着地するのか少し見てみたいなあって。
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■ 以下アルバムやらシングルの短い感想文。というよりまとまりのないただの雑記です。ちなみにわたしは、ベースとギターの基本的な違いをこの前まで知らなかったくらいのレベルの人間です。
続きを読む【美術】-
ものすごく怒っている記事を下書きで見つけた。
批判しかしていない。芸術品ではなくこの企画展の展示方法に対してとても怒っている。
自分でも珍しいなあ、と思うので公開してみます。企画展の名前を伏せますが、アジアの現代アートに関する企画展で、結果的に反体制アートを展示するような内容になっていました。
最近自分の中での”アートの定義”を考えているのですが、少しヒントになりそうな、そんな感想文。
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こんな悲しくなった企画展は、あっただろうか。
社会主義の知識人がアートに限界を感じた部分は、こういうところだったのだろうか。
ポリティカルポップアートって結局は、ただの幻想か。さみしい。
恐らく、写真がすべてOKだったら、もしくは、すべてダメであったら、ここまで悲しくなることもなかったのかもしれない。
でも、今回、2点に限り写真撮影が可能だった。
このふたつは、写真に撮られ、SNSで拡散されることを期待されたのだろう。
つまり、この企画展に消耗されてしまったアートで。
最高に皮肉ではないですか。
美術館って、体制側の箱で、ポリティカルポップアートから一番離れている場所で。
基本的に写真が禁止され、近付きすぎることも許されず、ルールがありそれに従って鑑賞する場所で。それに反すると、監視員から注意をされ、そういう場所で。
でも、それはいいんです。鑑賞する側にルールがあり、それが大切なことも、わかってる。
でも、この企画展は、一部だけ、写真を撮ってもいいというルールが、今回の展示内容にそぐわなかった、と私は思う。
なぜ写真を撮っていいのか。
それは、この企画展を写真を撮ってSNSで宣伝してほしいからなんです。
だから、写真を撮っても、近づきすぎても、監視員はなにもいわない。
だって、宣伝してほしいから。
興ざめですよね。
この作品のアーティストは、美術館という場所で消費され、鑑賞されるために、アートを選んだのか。
そして、わたしたち純粋な大衆は、何の疑いもなく、このふたつの作品を写真に収め、スイーツと同じような熱量でSNSで公開をする。
でも、それって体制側の思う通りに事が運んでいて。
わたしたちは、いつのまにか支配されてしまっているわけです。美術の鑑賞の仕方を。
ほんとうに興ざめですよね。
他の企画展で、やられても全然かまわないです。
けれど、こういうポリティカルポップアートでやってほしくなった。
やるのであれば、すべての作品を撮影可能にしてほしかった。
それか、全部だめにしてほしかった。
寂しい。アートの限界ってやっぱこういうところなんだ。
って、本当に肌で感じることが出来た。
支配されることに疑問を持ち、体制に反するために、製作したアートが
今度は、わたしたちを支配する。そして、ルールを作り出し、それに反したものは、徹底的に排除する。
最高にやっていることが、あなたたちが、嫌いで仕方なかった、体制側と何も違わないでないですか。
こんなに悲しくなった展覧会は始めてだ。
【映画】天気の子
観てきました。
■ 天気の子 (2019)
世界を救わなかった男の子のお話。
エンタメ性やRADWIMPSのMV感は前作より薄まり、良い意味でスッキリとしない映画でした。結末のその後を、考えさせられる、考えてしまう、そんな映画でした。
日本の宗教的・文化的な要素をうんぬん~とか色々感じたことはあったのですが、特にひっかかったことをいくつか。
◆ 道徳的観点から
サリンジャーのライ麦畑でつかまえて が作中に2度ほどかな?映っていたの印象的でした。この作品も、青年が社会に閉塞感や理不尽さを感じ、それに抗う図式になっていて。
でも、愛があれば、銃を人に向けても、警察から逃げても、法を犯しても、いいのだろうか。
自分は、もう声高々に”いい”とは言えない。いつのまにか社会の歯車になり、この社会がどうやって回っているのか、なんとなくもう知ってしまっている。
作中の構図だと警察が悪になってしまうのだ。警察は悪なのだろうか。警察だって、彼らなりの愛があって、信念があって、世界を生きている。
自分の愛と他者の愛がぶつかってしまった時、それを双方が譲らなかった場合、解決する策は、結局作中のように暴力しかないのだろうか。
たぶん言いたいことは、そんなことではないのだろうけれど、そんなことを考えてしまった。
◆ 実名描写について
そんなことを思ってしまったのは、彼らの生きる世界が、自分の生きる世界とリンクしすぎていたからだと思う。
普段、映画含めエンタメ作品を観て、道徳的観念が~なんて思わない。むしろ、道徳的非道徳的観念からは離れたところで、問題を提起できるのが作り物の醍醐味だと思っている。
でも、この作品はリアルすぎた。新宿の街も、時折出てくる名前も商品名も慣れ親しんだもので、あまりにも自分の日常の延長線にありすぎたのです。スポンサー的考慮もあったのか、商品名があからさまに主張されるカットも多かった。
新宿駅もルミネもビールもカップラーメンも、全部全部、個人的な思い出がそれぞれにあって。そのカットが映る度、自分の経験と劇中の舞台とがリンクしてしまう。
そんな繋がっている世界の中で、警察を”自分の行動を邪魔をする存在”として描かれているその構図が、平凡で普通の一般市民である自分にとって、受け入れがたかった。
リアルに想像できてむずむずしてしまうのだ。マクドナルドに行きCCレモンを飲みYahoo!の知恵袋に投稿する、そんな世界で、警察から逃げる、ということは、どういうことなのか。帆高くんの犯した罪は、保護観察処分なんてもので済むのだろうか。結構重いものではないのだろうか。実際、あんな青年が近所に居たら、自分は彼にどういう対応を取るだろうか。と、普段の道徳観念スイッチが発動された状態でこの映画の世界をみてしまう。
◆
でも、そのスイッチを頑張って切って、フラットな状態で作品を考えてみると印象的だった台詞はふたつ。どちらもスガさんです。自分の年代的なことあってか、途中からスガさんを主人公として、この作品を観ていた節があります。
”最近の若者はすぐに訴える”
正しさの向こう側まで思考を張り巡らさなくてはいけない、と最近は思う。
今ある正しさは、誰が決めたのか。なぜそれが正しいのか。なぜ、それを正しいということにしたのか。正しさの背景まで、思考がきちんと及ぶようなそんな人間でありたいなあ。
もう一つ。
”この世界はもともと狂ってる。”
強いな、この台詞って。この世界はもともと狂ってる。強い。
でも、ちょっと愛もあるよね。
◆ Radの曲について
愛にできることはまだあるかい この曲の歌詞が、作品鑑賞前からとても好きで。
でも、映画を観た後に改めて歌詞を振り返ると、本当に映画のストーリーをなぞっている曲になっていてすごいなあ、って。
初めて聞いた時、最後だけポジティブになるフレーズに、少し違和感を覚えたのだけど映画を観て納得した。確かに、愛にできることはまだ、あったね。
◆
映像は本当に美しい。雨をあれだけの規模であんな魅力的に幻想的に描いてしまう。アニメーションってやっぱりずるい。
君の名はのような軽いエンタメ性を求めて観に行った今作でしたが、良い意味で裏切られました。自分の思考の物差しをガツンと殴られたような、そんな、作品。
子ども向けではないし、大衆向けでも本当はないと思う。
でも、大衆向けのようにしてしまう、そのバランス感覚が怖いなって。
◆
どこからか読んだインタビューについて。
記事は後で探します。
・ 全体的にちょっと村上春樹っぽいなって思ったのですけれど、その感覚は間違いではなかったみたい。あと、あのサリンジャーも村上訳のものらしい。
・ 君の名の畳み方について、賛否両論あったことを初めて知った。
個人的に得意な終わり方ではなかったけれど三葉のお家のことを考えるとアリになった。でも、実際の震災と絡めた意見もあったんだなあ、って。