至上の印象派展 ビュールレ・コレクション

■ 至上の印象派展 ビュールレ・コレクション展 国立新美術館 / ¥1,600 (¥1,400)

 

 

エミール・ゲオルク・ビュールレ(1890-1956年)

 

ビュールレさんは、第二次世界大戦中、武器商人として富を築き、そのお金で、美術品を収集した。ドイツで生まれスイスで過ごし、青年期は、美術を勉強していた。

 

彼は、自分のコレクションに対し遺言を残さず亡くなり、その後家族が財団を設立し、彼が長年住んでいたチューリヒの邸宅を美術館として作品を展示。1960年にオープン。

 

2008年に強盗団によって、4作品を盗まれる。(その後発見されるが)

セキュリティの懸念から、2020年チューリヒ美術館に作品を移管予定。

 

 

美術とは何か、絵の価値とは。絵の所有者とは。

先日、婚約者の友人(フランソワ・オゾン)で見た、マネの自殺は、ビュールレ・コレクションが所蔵しているそう。

劇中にあったように、戦時中は、本当にルーヴルにあったのだろうか。

 

 

金曜日の夜、20時まで開館しているので行ってきました。

土日より人は少なくゆっくり観ることができて。

モネのヒナゲシ畑とウォータールーの前で、ずーっとぼーっとしていました。

睡蓮のみ、お写真がOKということで、閉館ぎりぎりまで絵の前に人だかりが出来ていましたが。

 

この作品って個人蔵だったんだ…と驚きできした。

財団を設立して運営していたから、厳密的には個人ではないけれど。

印象派が好きな人は、とても楽しめる、というか、絶対に行った方がいい展覧会だと思います。

作品数は60数点と少なめかな?と思いましたが、一枚一枚が濃いです。

生では見たことないけれど、知っている、そんな作品だらけです。

知らなかった!初めて見る!こんな絵も描いていたんだ!そんな作品だらけです。

とにかく有名な画家の作品しかない。

個人的には、ドラクロワのモロッコのスルタンが好きです!でも、ルノワールによるシスレー肖像画も捨てがたい…ゴッホの種まく人も黄色が綺麗で…シスレーの日本初公開ハンプトン・コートのレガッタも・・・・とにかく全部良かったです。

 

■ 

 

ビュールレ・コレクションの公式HPなのですけれど、この日本の展覧会のことも紹介していました。東京新聞って、東京の新聞だと思っていたのですけれど、名古屋に拠点がある?会社さんなんですね。 

 

印象に残った箇所を。

there is no doubt that museum visitors in the country will recognise and appreciate the quality of the works on display.

www.buehrle.ch

 

 

 

無限未来。

■ 無限未来 / Perfume 

 

 2018年のPerfumeは、大自然の中、シンプルな黒い衣装でコンテンポラリーダンスを踊るよ。と、2012年頃、Spring of Life を聴いている自分に教えてあげたい。

 

Perfumeの無限未来FULL  PV(監督:田中裕介)を観ました。まとまらない感想文。

 

SoL のPVは外の世界に行こうとするけれど、結局それは叶わないんだよね。

人間って、与えられた環境から、大きく逸脱することはなんだかんだ出来なくて。

今いる場所を受け入れて、その中で自分が出来ることを知って、

その中で勝負しなくちゃいけないんだなあ、結局。って

当時の自分の環境と重ねて、思ったことを覚えています。

ちょうど大人というものを理解し始めた頃のお話。今もよくわからないままだけれど。

 

無限未来を初めて聞いた時、ミニマムだなあ、って思って。

音楽の専門的なことはわからないので、様式として音楽にミニマリズムが存在するのかはわからないけれど。

印象として、リフレインが多いし、置かれている言葉も少なくて。

飾り付けをして美しさを足し算するのではなく、どんどん引き算してピュアにしていく感覚。

なのでspending all my timeみたいに、意味が理解できる言葉が逆に印象に残る。

 

PVも壮大なのですけれど、とてもミニマム。

途中でオブジェが出てくるけれど、近代的でミニマリズムで。

自然の中、突然無機質で人工的なモノが入ってくる。

それが違和感で、逆に印象に残る。

 

最初short PVで、オブジェを観た時は、ジャージャンクーの映画みたいだな…って思ったりしたけれど。

様式としてのシュルレアリスムマグリットのように、違和感ない場所にほんの少しだけ非日常を入れちゃうことによって、逆に印象にがつんと残るような、そんな感覚。こういう効果ってなんて言うんだっけ…。

  

PVの最初と最後が同じ構図なのは何か意味があるのかなあ。と考えてみたけれどよくわからないです。時系列なのかな?

 

 

それにしても最近のPerfumeは大人の女性のかっこよさ、みたいなのが染み出てる。

飛ぶよ、are you ready?とかあんな顔で言われたら、はい!ってなるよね。笑

 

無限未来(初回限定盤)(DVD付)

無限未来(初回限定盤)(DVD付)

 

 

 

この世界の片隅に

■ この世界の片隅に(2016)

 

公開二日目にたまたま観に行って、気が付いたら今まで何回観たのだろう。

感想を書いては消し、を繰り返し、しっくりこないまま下書き保存で放置。

 

無理やり感想をまとめるならば、"なんかよくわかんないけどとにかくすごい。”

 

■ 前提として

 

日常が非日常になってしまう感覚を、そしてその非日常に適応し、いつのまにか日常になってしまう感覚を、自分は311で経験しました。幸いなことに、直接的な被害はなかったけれど。

 

数時間おきに起きる余震が数週間続いて。

計画停電が計画的に起きないことに混乱して。

放射線のニュースに困惑し、情報が錯乱していて。

世の中は自主規制だらけだった。

 

あの時、今思えば非日常だった。

 

でも、自分は、そんな非日常を非日常なりにきちんと過ごしていて。

 

余震にいつのまにか慣れて、この地震震源地遠そう~なんて会話を食卓でするようになった。

放射線を測る装置を購入し、シーベルトなんて言葉を日常的に使うようになった。

魚を控えたり、食べ物に関しても工夫をするようになった。

 

もっと大きな非日常が私の前に立ちはだかっても、生きている限りは、きっといつのまにかそれなり適用して日常になってしまうんだろう。そして、辛いけれど、案外四六時中辛いだけでもないのかもしれない。

これが、私が311から学んだことでした。

 

この世界の片隅に、という作品の映画化は震災前に決まっていたということだけれど、震災を経験していなければ、ここまでこの映画に対し、自分の経験にまで落とし込んで、すずさんの生きた時代を感じることが出来なかったかもしれない。そう思います。

 

そういう意味では、311の後で、この映画を観ることが出来てよかったです。 

 

■ 娯楽映画として

 

まず、単純に映画作品として非常に面白いです。 

 

時代は戦争時代だけれど、すずさんの日常を覗くような作品で

何が起きても、時間は平等に過ぎていくし

その中で自分が選んだ決断に対して責任を持ち、現実を受け入れ

煌びやかで目立つような人生ではなくとも

一生懸命日々を生きていくしかないんじゃないかなあ、よくわからないけれどね。

 

と諭された気分になりました。勝手に。 押しつけがましくないんです。

だって、ただすずさんやその周りの人たちがそこで暮らしているだけだから。でも、ずしんと感じることが私にはあった。

 

■ 資料として

 

戦争に関することはもちろん、街並みや、当時の慣習、食事、天気まで。

細かいことまで気が遠くなるくらい詳しく調べてそれを忠実に描いている。

ということを、映画を観た後に知りました。

 

私は歴史にも地理にも詳しくない。ましてやその時代を生きていない。だから、この作品で描かれていることはどこまで本当なのかはわからない。けれど、なんだか本当のような気がする。そんな、奥行みたいなものを感じました。

 

広島の原爆ドームの周りがあんなに栄えた街だったなんて知らなかった。

ずっと昔から公園だと思っていた。

原爆の悲惨さはたくさん勉強したけれど、原爆の前のヒロシマはどうだったのか、だれも教えてくれなかったし、私も知ろうとしなかった。

戦時中の街並みに色があったなんて知らなかった。モノクロの資料ばかり観ていたからだろうか。

原爆の前も後も、日常があるのは変わらないはずなのにね。

よく考えたら、当時の広島にも、人の生活があることは、当たり前のことなのに、どうしても"原爆が落ちた悲惨な場所"で、思考が停止してしまったんだと思う。

 

この映画を観て、戦争時代の人たちの日常と、私たちのそれと、本質的には変わらないのかもしれないなあ、と思うことができたのです。

 

 ■ 戦争映画として

 

私が今まで観た戦争映画には、こういう日常は感じることは出来なくて。

過去にあったことなのに、どこかファンタジーとして認識してしまっていた気がする。

 

戦争時代って、"戦争期間がひょっこり突然現れてしまい、そこで生きる人々は四六時中戦争に支配され混沌としている。現代とは全く異なった日本。"という認識で捉えていたのかもしれない。

極端な話、作中の敵役が、米軍でもエイリアンでも戦いは怖いなあ~って思う、そういうレベルの理解。

 

戦時中と、現在を線で繋げることが出来ていなかった。

でも、この作品はそれを繋げてくれました。

 

そして、"戦争は日常を壊してしまうもの"なんだ、って発見することもできました。

だから戦争って怖い。だって、日常壊されたくないもん。

戦争反対!とか大義的じゃない。そうじゃない。単純に、怖いから嫌だ。

 

日常を壊されるのは、たぶん誰だって怖い。その非日常は、戦争でもなくても、自然災害、不景気、もっとミクロだと引越しとか卒業とか、環境の変化だって非日常で怖い時もある。そんな経験はたぶん誰にだってあるし、そういった私たちの日常を脅かす要素のひとつとして、戦争を捉えることできたのです。

 

すずさんたちのおかげで、戦争の時代を生きた人にも、私たちと同じように日常があって、戦争に対して感情が単純化されているわけではなかったんだ。って、戦争の再発見が出来て、それと同時に、自分の経験に落とし込んで、戦争を感じることが出来た初めての体験でした。

 

 

私たちが今平和に生活できているのは、すずさんたちのような戦争時代に日常を生きていた人たちの延長線上に成り立っていて。

そういう人たちが、色々なコトやモノを犠牲にしてまでも、残してくれた現在を、恥じないよう生きて、次に繋げたい、という感情が生まれたことに少しだけびっくりしています。

 

 

この作品を観る度、与えられた情報を咀嚼できないまま、そこにパーソナルな感情が沸いてしまうので、頭の中がこんがらがってしまう。

ドキュメンタリーなのにドキュメンタリーではない作品とどう付き合っていいのか混乱してしまっているのかもしれない。

 

不思議な経験をさせてくれた映画でした。

きっとこれからも何回も観てしまうんだろうと思う。

 

頭の中を正しく言語化してくれる脳みそが自分にあれば、もっと表現したいことがたくさんあるのに。でも、とりあえず無理やり下書き供養ということで、公開します。

 

個人的には、311以降、邦画をまともに観れなくなってしまっていたのですけれど、この作品以降、また観ることが出来るようになったので、感謝しています。

 

 

この世界の片隅に [DVD]
 

 

 

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

 

 

 

ブリューゲル展 東京都美術館

ブリューゲル展 東京都美術館 / ¥1,600 (¥1,400)

 

ブリューゲル展に行きました。ついでにシャンシャンも観たかったのですけれど、整理券は既に配布終了。残念。

 

ブリューゲル一族に焦点を当てた展覧会だったのですけれど、思ったより頭の中こんがらがったので、少し自分の中で整理。ただのメモです。

 

少し前の時代背景

・1517年 ルターの宗教改革(ドイツ)

・15C初めから16C半ば イタリアルネサンス最盛期 

・15C-16C 初期フランドル派・初期ネーデルランド派・北方ルネサンス

(ヤンファンエイク・ヒエロニムスボス等) 

ブリューゲル公国の繁栄/フランドルが欧州経済の中心地。

 

〇 ピーテル・ブリューゲル1世(1525/30-1569)

以前東京都美術館で展示されていたバベルの塔を描いた人。

初期フランドル派の流れを汲み取りつつ、遠近法などの技法も取り入れる。

農民画家。ブリューゲル(父)

 

〇 ピーテル・ブリューゲル2世(1564-1637/38)

父の作品をたくさん模写して生計を経てるも、庶民的なお値段で売り付けていたので

生涯お金には困る。

地獄のブリューゲル

 

〇 ヤン・ブリューゲル1世(1568-1625)

花のブリューゲル

ルーベンスと共作していた。当時は、背景と人物を違う絵師さんが担当することが多かった。

今回の展覧会のメインモチーフとなった花の絵を描いた人。

ヤン・ブリューゲル(父)

 

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出品作品リストに記載されていた系譜とにらめっこしながら鑑賞しました。

 

ブリューゲル(父)の二人の子どもさんは、小さい頃に父を亡くしているので、父の影響で画家になったというより、もともと画家になる環境のお家だったんだろうなあ、と思う。この時代だと、父もギルドみたいな、芸術家というより職人?みたいな感じだったのでは?

 

当時は、背景と人物を異なった画家が描く共同制作の作品が多かった、とあって、現代芸術とは異なり、絵って思想反映の手段というより、家具の一部みたいな感覚だったのかもしれない。商品。

現代の町工場みたいだなって。この部品は、ここで~って、それぞれ得意分野の製品を集めて、組み立ててIphoneにしたり。とか、そういう。

 

花の絵は、色々な種類・大きさの作品が数点ありました。

商業で栄えているフランドル地方の人たちが、友達のお家に遊びに行ったりして、そこでこういう花の絵を観て、自分も家に飾りたい~みたいな感じで、こぞって注文があったんだろうなあ、楽しそう。

 

お花の絵に必ずあったマーブル柄のチューリップは、実は病気のようで。

当時は、病気とは知らず珍しく大変人気があったとあって、面白いなあ、結局は、価値観の問題。

 

今回の出展作品は、個人蔵の作品が大半を占めていて、いいなあ…って思いながら観ていました。

 

大人が観たい美術展2018 (時空旅人別冊)

大人が観たい美術展2018 (時空旅人別冊)

 

 

ルドン -秘密の花園

■ ルドン -秘密の花園 三菱一号館美術館 / ¥1,700 (¥1,500)

   

オディロン・ルドン(1840-1916年)。モネ、ロダン、ゾラと同い年。

1916年没。最期は、WW1の前線に送られた息子さんの無事を祈りながら亡くなった、とあって。

40過ぎて生まれた子どもで、長男は生まれて半年くらいで亡くなって、そのあと生まれた次男坊で、一人息子で、それはもう可愛がっていたに違いないのに。

息子さんは結局どうなったのかは書かれていなくてそっちのほうが気になってしまった。生きて帰れたのだろうか…。 

 

夢想的、幻想的な作品が多く、ぱっと見るとシュルレアリスムをどこか彷彿とさせるような。でも、解説を読むと、自然科学的欲求や神話的・宗教的な要素が含まれていて、実は計算高い絵なのかもしれない。観る人が観たら、わかる!みたいな。

 

色が入ってからの作品は、青がとても印象的でした。印象派のようなタッチなのに、色がビビッド。ずっと観ていたくなる青。中毒性のある色の置き方をしていて、その色の使い方がとても好きでした。

 

ドムシー男爵には、食堂装飾を製作する際、青ではなくてもっと暖色を!みたいな注文を受けたらしいのですが。

 

奥行があったり、モチーフは写実的なのに、背景は印象派のように色がぼやけている作品もあって。そういう組み合わせをする作品をあまり知らなかったので、面白かったです。

36 ドムシー男爵夫人の肖像は、奥さんの描き方は写実的なのに、背景そんな感じでいいんだ!って。

 

いつも企画展に行くときは好きな絵のポストカードを1枚買うようにしているのですが、今回は買えなかったのです。なんだか本物の絵にパワーがありすぎて、プリントされた絵と同じ作品に見えないというなんとも不思議な感覚に苛まれたのでした。

始まったばかりなので、また本物観に行けたらいいな。

 

 webに館長さんと大宮エリーさんの対談があって、印象的だった大宮さんのお言葉。

 たしかに《グラン・ブーケ》って、天国の宮殿の入り口に置いてある花みたいです。今世で一生懸命頑張ってきた人たちを「お帰り~」って迎えてくれるような、そんな花。

 

(memo  35 若き日の仏陀 39 灰色の小さなパネル 87 野の花のいけられた花瓶 

なにかの宗教の女性を描いた作品なのだけど、曖昧なのでタイトルが近年は変わっているっていう解説がされた絵の名前忘れた。なんだっけ。)

 

 

もっと知りたいルドン―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

もっと知りたいルドン―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

 

 

 

 

フランクホーヴァット写真展

■ フランクホーヴァット写真展  シャネルネクサスホール 無料

 

ドアマンが開けてくれた世界の向こう側には。

 

ファッションだけではなく、色々な写真があったのだけれど、一番印象に残ったのは、

群衆の中で険しい顔をしてこちらを見つめている女性のお写真でした。

 

なんでこんなに物憂げな表情なんだろう、この人だかりはなんなんだろう、と思って題名を読むと、”ギャラリーラファイエット百貨店近くにて、クリスマス前の買い物客たち”

 

どうやら年末の買い出しに来た人たちのお写真だったらしい。なぜそんなにも険しい表情をして、買い物をしなくちゃいけないのか。しかもハッピークリスマスの時期に。

 

この時、女性が何か個人的に深刻な問題に直面していたかもしれない。

もしくは、社会的に何か問題があって、クリスマスなんか楽しんでいられない風潮だったのかもしれない。

けれど、そういえば自分も年末は、買い出し大変だなあ、寒いなあ、面倒だなあ、ううう。と思いながら、忙しなく動いていたよなあ、でもなんだかんだ楽しい年末を過ごしたなあ、と思い出して。確かにこういう顔になっちゃうときもあるよなあ、クリスマス前だったとしても。と思ったのです。 大変だよね、年末の買い出し。

 

どうしてこの写真が、もっと社会的な問題に直面していて、それに対するアンチテーゼを含んだ写真だと、自分は感じたのか。価値観が凝り固まってないかい?って言われたようで、なんだか勝手に一本取られた気がして、おもしろくて笑ってしまったのです。

 

人間の感情は、現象の大小に関わらず、個人の物差しで測ることしかできない。

写真はただその現象を切り取っているだけで、その撮られる側の感情と、撮る側の意向と、それを観る人の感想は、ちぐはぐで相容れなくて、だから写真って面白いなあと思う。

 

 

ポスター フランク ホーヴァット Paris 1957

ポスター フランク ホーヴァット Paris 1957

 

写真展 オードリー・ヘプバーン

■ 写真展 オードリー・ヘプバーン / 日本橋三越 ¥800

 

オードリーヘップバーンはかわいい。

 

私が映画っていう娯楽に興味を持ったのは、中学生だか高校生の時、英語の授業で観たローマの休日がきっかけでした。

それまで、古い映画を観る機会がなかったのです。というか、インターネットが発達していない時は、古い映画なんて知るきっかけも、見られるチャンスもなかったよね…。

TVでやるロードショーでしか洋画に触れたことなかったもん。

古い映画を観るっていう概念がなかった。そう考えると今ってすてきな時代。

 

カメラマンさんもオードリーのこと撮るの楽しくて仕方なかったんだろうなあ。

 

バンビのイプがとてもかわいかったです。

 

グッズ売り場で、カタログだと勘違いして購入した写真集に、展覧会の中で一番お気に入りだった写真がなくて、ちょっとだけ落ち込んだけれど、でも、まあほとんど載っていたしかわいかったから、まあいっか。

 

AUDREY HEPBURN オードリー・ヘプバーン

AUDREY HEPBURN オードリー・ヘプバーン