この世界の片隅に

■ この世界の片隅に(2016)

 

公開二日目にたまたま観に行って、気が付いたら今まで何回観たのだろう。

感想を書いては消し、を繰り返し、しっくりこないまま下書き保存で放置。

 

無理やり感想をまとめるならば、"なんかよくわかんないけどとにかくすごい。”

 

■ 前提として

 

日常が非日常になってしまう感覚を、そしてその非日常に適応し、いつのまにか日常になってしまう感覚を、自分は311で経験しました。幸いなことに、直接的な被害はなかったけれど。

 

数時間おきに起きる余震が数週間続いて。

計画停電が計画的に起きないことに混乱して。

放射線のニュースに困惑し、情報が錯乱していて。

世の中は自主規制だらけだった。

 

あの時、今思えば非日常だった。

 

でも、自分は、そんな非日常を非日常なりにきちんと過ごしていて。

 

余震にいつのまにか慣れて、この地震震源地遠そう~なんて会話を食卓でするようになった。

放射線を測る装置を購入し、シーベルトなんて言葉を日常的に使うようになった。

魚を控えたり、食べ物に関しても工夫をするようになった。

 

もっと大きな非日常が私の前に立ちはだかっても、生きている限りは、きっといつのまにかそれなり適用して日常になってしまうんだろう。そして、辛いけれど、案外四六時中辛いだけでもないのかもしれない。

これが、私が311から学んだことでした。

 

この世界の片隅に、という作品の映画化は震災前に決まっていたということだけれど、震災を経験していなければ、ここまでこの映画に対し、自分の経験にまで落とし込んで、すずさんの生きた時代を感じることが出来なかったかもしれない。そう思います。

 

そういう意味では、311の後で、この映画を観ることが出来てよかったです。 

 

■ 娯楽映画として

 

まず、単純に映画作品として非常に面白いです。 

 

時代は戦争時代だけれど、すずさんの日常を覗くような作品で

何が起きても、時間は平等に過ぎていくし

その中で自分が選んだ決断に対して責任を持ち、現実を受け入れ

煌びやかで目立つような人生ではなくとも

一生懸命日々を生きていくしかないんじゃないかなあ、よくわからないけれどね。

 

と諭された気分になりました。勝手に。 押しつけがましくないんです。

だって、ただすずさんやその周りの人たちがそこで暮らしているだけだから。でも、ずしんと感じることが私にはあった。

 

■ 資料として

 

戦争に関することはもちろん、街並みや、当時の慣習、食事、天気まで。

細かいことまで気が遠くなるくらい詳しく調べてそれを忠実に描いている。

ということを、映画を観た後に知りました。

 

私は歴史にも地理にも詳しくない。ましてやその時代を生きていない。だから、この作品で描かれていることはどこまで本当なのかはわからない。けれど、なんだか本当のような気がする。そんな、奥行みたいなものを感じました。

 

広島の原爆ドームの周りがあんなに栄えた街だったなんて知らなかった。

ずっと昔から公園だと思っていた。

原爆の悲惨さはたくさん勉強したけれど、原爆の前のヒロシマはどうだったのか、だれも教えてくれなかったし、私も知ろうとしなかった。

戦時中の街並みに色があったなんて知らなかった。モノクロの資料ばかり観ていたからだろうか。

原爆の前も後も、日常があるのは変わらないはずなのにね。

よく考えたら、当時の広島にも、人の生活があることは、当たり前のことなのに、どうしても"原爆が落ちた悲惨な場所"で、思考が停止してしまったんだと思う。

 

この映画を観て、戦争時代の人たちの日常と、私たちのそれと、本質的には変わらないのかもしれないなあ、と思うことができたのです。

 

 ■ 戦争映画として

 

私が今まで観た戦争映画には、こういう日常は感じることは出来なくて。

過去にあったことなのに、どこかファンタジーとして認識してしまっていた気がする。

 

戦争時代って、"戦争期間がひょっこり突然現れてしまい、そこで生きる人々は四六時中戦争に支配され混沌としている。現代とは全く異なった日本。"という認識で捉えていたのかもしれない。

極端な話、作中の敵役が、米軍でもエイリアンでも戦いは怖いなあ~って思う、そういうレベルの理解。

 

戦時中と、現在を線で繋げることが出来ていなかった。

でも、この作品はそれを繋げてくれました。

 

そして、"戦争は日常を壊してしまうもの"なんだ、って発見することもできました。

だから戦争って怖い。だって、日常壊されたくないもん。

戦争反対!とか大義的じゃない。そうじゃない。単純に、怖いから嫌だ。

 

日常を壊されるのは、たぶん誰だって怖い。その非日常は、戦争でもなくても、自然災害、不景気、もっとミクロだと引越しとか卒業とか、環境の変化だって非日常で怖い時もある。そんな経験はたぶん誰にだってあるし、そういった私たちの日常を脅かす要素のひとつとして、戦争を捉えることできたのです。

 

すずさんたちのおかげで、戦争の時代を生きた人にも、私たちと同じように日常があって、戦争に対して感情が単純化されているわけではなかったんだ。って、戦争の再発見が出来て、それと同時に、自分の経験に落とし込んで、戦争を感じることが出来た初めての体験でした。

 

 

私たちが今平和に生活できているのは、すずさんたちのような戦争時代に日常を生きていた人たちの延長線上に成り立っていて。

そういう人たちが、色々なコトやモノを犠牲にしてまでも、残してくれた現在を、恥じないよう生きて、次に繋げたい、という感情が生まれたことに少しだけびっくりしています。

 

 

この作品を観る度、与えられた情報を咀嚼できないまま、そこにパーソナルな感情が沸いてしまうので、頭の中がこんがらがってしまう。

ドキュメンタリーなのにドキュメンタリーではない作品とどう付き合っていいのか混乱してしまっているのかもしれない。

 

不思議な経験をさせてくれた映画でした。

きっとこれからも何回も観てしまうんだろうと思う。

 

頭の中を正しく言語化してくれる脳みそが自分にあれば、もっと表現したいことがたくさんあるのに。でも、とりあえず無理やり下書き供養ということで、公開します。

 

個人的には、311以降、邦画をまともに観れなくなってしまっていたのですけれど、この作品以降、また観ることが出来るようになったので、感謝しています。

 

 

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